北海道移住ドラフト会議を終えて Vol.1 小町谷 健彦

小町谷 健彦 30代 インタビュー

プロフィール

小町谷 健彦 映像プロデューサー
1985年1月21日生まれ。北海道札幌市出身。
幼い頃から、親の仕事の関係で、札幌と東京を行き来する生活を過ごしていた。大学時代は東京大学で理系の学部へ進学。大学在学中、世の中で何が良くて、何が悪いのかがわからなくなり、人生に悩んで際に、ふらっと立ち寄った映画館で心に残る映画と出会い、「映画は本気で世界のことを考えている」という思いが生じ、その後映画、映像の世界へとのめり込んでいった。

―小町谷さん本日はどうぞよろしくお願いいたします。最初にどのようにドラフト会議を知ったか、ドラフト会議を知った時はどのような感情が芽生えたかを教えてください。

映像の世界で長いこと働いていましたが、色々なきっかけがあり、一度映像の世界から離れてもいいのではないかという思いが湧いてきました。その感情が芽生え始めた頃、コンサルティングの会社や、様々なインフラを整備している会社、人材系の会社など、今まで仕事として携わったことのない種類の会社へと顔を出し、話を聞きに行きました。新しい環境で何かを一から始めるなら、早い方がいいと思っていました。そんなモヤモヤを抱えていた時に、偶然札幌を拠点に活動をしているNo Maps実行委員会が主催するNoMapsというイベントに行きました。そこで高校時代の先輩でもあった、ドラフト会議主催の五十嵐と再会し、近況報告をしていると、「ドラフト会議に参加してみたらいいんじゃない?きっと面白い出会いがあると思う。」という力強い言葉をもらい、少し迷いはあったものの、参加することにしました。きっと断ることもできたと思うのですが、心のどこかに北海道に対する地元愛があったことと、雪が降っている景色がずっと好きだったこともあったので、そのことが参加への後押しになったのかなと思います。

―そのような背景があったのですね。イベント当日はどのような感情を抱いたかを教えていただけますか。

イベントで感じたことというより、思い出したことがありました。それが地方創生というキーワードです。映像の仕事として、地方創生の案件はいくつかあったのですが、地方創生というものに対する感情は頭からは離れていたみたいです。ドラフト会議に参加していた球団の皆さんの話を聞いていると、地方には色々な課題があり、それに対してアプローチをし、解決していきたいという切実さが伝わってきました。その時自分の中にあったドアが開いたような感覚に陥りました。その日を境に地方創生について調べ始め、地方創生というキーワードを持つ会社や地域などを訪ねるようになりました。一位指名をいただいたグラビス・アーキテクツ株式会社はとても柔軟で、何度かやりとりを重ねましたが、自分のやりたいこととは完全にマッチしなかったため、今回は見送らせていただきました。その後移住ドラフト会議の球団として参加していた道東の皆さんとのご縁もあり、道東に訪れました。訪れている時に、頭の中でここに住んだらどうなるだろうというシミュレーションを始めていました。そして、その時期に津別町で「北海道つべつまちづくり株式会社」を立ち上げるという話があり、自分の中で芽生えた地方創生というキーワードとマッチしました。この頃には移住をしようかという方向に少しずつ傾きもしていましたが、まだ完全に踏み切れてはいませんでした。まずは東京で力をつけて帰ってこようという結論に一度落ち着いた時期もありました。しかし、本気で何かを変えるなら、現場に飛び込まないと学べない、変えられないことがあると思いなおし、周りから非難を浴びてもいいから、現地に飛び込むことを決意しました。今振り返ると、移住を決めることができたのは、「どこでどんな人と何ができるかは、行って会ってみないとわからない」と思ったことと、北海道つべつまちづくり株式会社が立ち上がるという奇跡的な「タイミング」のおかげだったと思います。

―そうだったのですね。移住をする上で大変だったことはありましたか。

会社内での残っている仕事の引き継ぎが大変でした。引き継ぎが全然終わらなかったです。(笑)
 他には会社を退職した後、3ヶ月フリーランスの期間があったのですが、その期間に受けた仕事の納期が延期になり、今でも関わっていたりします。仕事の切れ目を作るのは本当に大変だなと今回の移住をきっかけに気づきました。移住後の話をすると、人間関係構築は大変ですね。元々所縁のない場所だったので、時間がかかるものだと思っています。地方特有の様々なギクシャクした感じも中にはあるので、それも地方特有の大変さかなと認識しています。他には移住直後にアクシンデントが複数重なったのは大変でした。振り返ると結構大変なことが続きました。後は、飲み屋があまりないですね。場所によっては、ご飯のラストオーダーが午後6:30だったので衝撃的でした。(笑)

―ラストオーダー早過ぎますね。(笑)地方ならではの課題もやはりありますよね。移住ドラフト会議で得られたものはありましたか。

たくさんの人からエネルギーをもらいました。ドラフト会議に参加した時は、そもそも何にどうチャレンジすればいいのかがわかっていませんでした。ドラフト会議では選手の自己紹介タイムがあるのですが、その場でも悩んでいるということを赤裸々に伝えました。ただ、それを伝えられたこと、聞いてもらえたこと、そしてエネルギー溢れる人たちが周りにいたこともあって、一歩を踏み出してみようという気持ちにさせてもらいました。そして、球団の発表を聞いていた時に、目の前に課題はたくさん転がっていることを知ったので、何にどう行動を起こすのかが少しずつ見えてきて、自分の中でミッションが具体的になっていくのがわかりました。そう考えると、一歩を踏み出してよかったなと思います。イベント後も、同じく参加した選手同士でメッセージのやり取りを行ったり、事業で一緒に絡んでいたり、新しいプロジェクトを企てていたりと、その時の繋がりが今でも続いているのを実感しています。

―今でも関係性が続いているのは、主催としても嬉しい限りです。最後に移住ドラフト会議にこれから参加する人へのメッセージをお願いします。

きっと今後の大きなきっかけになるイベントになるので、ぜひ参加して欲しいです。最終的に移住に繋がっても、繋がらなくても、このイベントに関わる人たちと出会えるだけでも間違いなく価値があります。

―小町谷さん本日はありがとうございました!

(インタビュアー:北海道移住ドラフト会議実行委員会さーもんず柴田)

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